きままに太平記

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<<   作成日時 : 2005/06/01 19:23   >>

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 太平記では、京都の攻防が何度も行われていたようです。後の室町幕府も京都に開かれるわけですし、南朝方は南朝方で平安時代から天皇は京都いたわけですから、当然武家に京都を奪われたままにはいかないでしょう。ですから結局京都は、何度も奪ったり奪われたりするのでしょう。
 では、いままで武家の中心地であった鎌倉はどうなのでしょう。よくいわれるのが鎌倉は、三方を山に囲まれ前は海というように守るのに適した地であるといわれます。太平記では、新田義貞も攻めあぐね、稲村ヶ崎では、金の太刀を海に投げ入れ海を引かせ、そこから鎌倉に攻め込むことに。そういうエピソードもあるくらいですから、鎌倉は堅固な城塞都市といえるのでしょう。

 ただ実際には、そう結論づけるには早計というもので、例えば、1335年の中先代の乱では、鎌倉を攻める北条時行に対し、敗北を重ねた足利直義は、鎌倉に篭ることなくあっけなく東海道を西へ三河まで逃げてしまいます。その後も、中先代の乱の首謀者時行も足利尊氏にあっけなく奪還されてしまいます。さらに、2度目の北畠顕家率いる奥羽軍による京都遠征の中、顕家によって鎌倉は落とされてしまいます。
 そうしますと、京都ほどではないものの鎌倉もよく落とされているようです。さすがの鎌倉も難攻不落というわけにはいかないのではないかと思うのですが、いかかでしょうか。

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